からふる。

休学・東京留学した地方女子大生の本音

20歳までで価値観が決まる~価値観が変わった瞬間瞬間~

20歳までで自分の価値観が決まってしまうという。
学生生活で「自分」が作られた経験や人との出会いを思い出してみる(長くなります)
 

〜自分が大学に入る前高校時代に持っていた夢はスポーツ医学を理解したコーチになることだった〜

 
小学校中学校までは内向的で動植物やお絵かきが好きだったけれど勉強も運動も得意な優等生タイプだった。50mを6.8秒で走ったり、体力測定で総合得点では学年女子一位を取ることもあって、ずっと体を動かすことが好きで。話すのは得意でなくてもスポーツを一緒にすることで誰とでも仲良くなれていた。遊び相手がお父さんだったこともあってキャッチボールやバッティングを仕込まれた。いつも男の子には負けたくなくて張り合っていた幼少期だった。
 
高校は進学校に進むが目立つタイプでもなかったし、勉強はできる方ではなかったけれど体育だけは得意で、高校では部活に没頭していた。
顧問の勧めがきっかけで高校2年生からは400mハードルを始めた。ただの道ではなくて障害を一つ一つ超えていく感覚に思いの外ハマってしまい、一倍トレーニングをして個人種目で県大会に出場するまでになった。しかし、オーバートレーニングで腰を壊す大怪我をしてしまう。その骨は一生くっつかないらしい。陸上人生を諦めるか、確率は低いけれど春からの復帰に向けてリハビリと県大会に向けて"走れない"トレーニング生活を選ぶか。そんな衝撃の診断を受けた高校2年の冬だった。
  でも、高校生の時の自分には陸上しか取り柄がなかったのだ。結果、リハビリを選んだ。自分が走ることはできないグランドの隅でひたすら筋トレだけをする虚しい練習の日々。その時に支えてくれ、自分の心に火をつけてくれたのが通っていた病院の理学療法士さんだった。
 
 毎週トレーニングルームも付いているその病院に通った。自分以外にも野球をしている社会人や中学生の男の子が通っていてトレーニングをしているのは励まされた。通院して怪我の経過を見ると同時に、メンタルトレーニングや腰の負担をかけず私の筋肉の弱い箇所を中心に補強運動や復帰できたリハビリ患者の話をするなどの私の課題に合った新しいトレーニング方法を教えてくれたおかげで、家に帰ってからは地道なトレーニングを一人で黙々と続けられた。精神的にも身体的にも今までの経験の中で最も辛かったけれど、その時の自分には"陸上しかなかった"し、 その理学療法士さんの言葉を信じ、自分の腰の回復を信じて毎日トレーニングに打ち込んだ。その結果、春の大会には復帰し、なんとインターハイにつながる大会でチームで唯一県大会に出場したのだった。・・・そんな経験をしてから自分の考え方の根底には、「どんなに困難な目標でも諦めずに続ければ必ず成し遂げられる」という自分の可能性を信じられる思いがずっとあるような気がする。
 
その後の高校生活は、自分のように一番辛い時期にスポーツをする人を精神的にも知識的にも支える仕事をしたいと思い、スポーツドクターや理学療法などの道を考えて勉強していた。
 
 しかし、不幸はそれだけでは終わらなかった。そんな中迎えた12月ずっとお腹が痛い日が続く。一度診療してもらったが胃腸炎だと告げられ、薬を飲みながら毎日勉強するがよくなるどころが痛みは激しくなり、ついに高熱と痛みで動けなくなる。その様子に気づいた親が急いで急患に運ぶと医師が告げたのは腹膜炎という名の病名だった。虫垂炎(盲腸)をこじらせて腹膜が破裂し、お腹の中で広がって危ない状況なのだという。死にかけていた。
幸いにも緊急手術をして助かった。医療ベットの上で麻酔を打たれ意識が遠のいていくとき、「あれ本当に人生が終わってしまうんじゃないか」という猛烈な不安が沸き起こったがそのまま私は眠っていった。
 手術が終わった。麻酔が切れ意識が戻って目を開けると両親が泣いている。私の両親はかなり厳格でなかなか涙など見せないような人であったからその光景は忘れなれなかった。その時自分は両親を含めたくさんの人に支えられてきたとか、人生は短いと強烈に思い出が頭を駆け巡り、「ただなんとなく人生を送るのは勿体無い」「何かしたい」と強く思うようになる。何もしない1日に虚無感を感じ、何もせずにじっとしていられなくなったのはその頃からだろうか。
 
 
ところがセンター前にそんな入院をして腹痛に悩まされながら1ヶ月管に繋がれた生活をしていたものだから5キロも痩せてしまい、受験も身体的にかなりきついく、過去最低点をマーク。医学部どころか体育系の実技なんて受けれる状態でもなかった。
スポーツで食べていくことは親にも反対された。給与的にも、女性として一生続けて行くキャリアとしても。
病院のベットの上で一人過ごす入院生活の間ずっと考えていた。浪人して医学部か、はたまたアメリカに留学してスポーツトレーナーを目指すか、いいやそんな経済力はない。スポーツに関わるのは選手やトレーナー以外にもあるようだ。だとしたら何学部に入ればいいのか。その際、思いついたのが、一番成績の良かった英語で、自分の親がやっているように学校の先生になり陸上部の顧問をするという道だった。中学で陸上の顧問をしていた母を見た思いついた。
塾の先生にそんな思いを打ち明け、その先生の母校であった山口大学を知って急遽英語教員を目指すことになる。センターが終わってすぐの日の出来事だった。
 

〜自分に負けたくない気持ちと人生の有限感が原動力〜

もしこの時の経験がなかったらどうなっていただろうか。
きっと人生が短いと思うこともなかっただろうし、
英語の教員になろうとも思わなかっただろうし、
山口大学を受験することもなかったかもしれない。
目指す手段が教員だっただけで、自分のしたかったことは何かしたいけれど悩んでいる人や落ち込んでいる人を支え、自分の得意な分野でその人に合った方法や知識でサポートし、自己実現に貢献することだったのかもしれない。
 

〜やりたい勉強ではなかった大学で行動力が爆発し始めるまで〜

大学に入って最初は大学の授業が本当につまらなかった。
大学の共通教育での学びが社会の何に役に立つのか分からなかったし、英語の教科教員になりたいと思っている同世代たちとのモチベーションの違いに悩んだ。英語の勉強は好きだけれど、英語を教えることは体育と比べて得意ではなかったことも悩みに拍車をかけた。
こんな授業を受けるために自分はあんなに死にかけている中受験を頑張ったのかと。一人暮らしのアパートに帰るたびに涙がこぼれ落ちる日々だった。
今更大学を変えることは入院などで親に負担をかけていたし、再度受験などは親にこれ以上迷惑をかけたくないと言い出すことすらできなかった。
だからやりたいことを学びたいと小学校と保健体育の免許を取得に取り組み始める。(これで卒業要件の免許と合わせて同時に4つの教員免許の取得を目指すことになる。)一方で学外に興味が湧いてボランティア活動やアルバイトにサークルとやりたいことにはほとんど手をつけた。車校にも通い、少しずつ友達も増える中で自分を取り戻していき、大学生のうちにできることは早めにやってしまおうと必死に自分の生きる道を模索していたのかもしれない。
 
大学2年生の夏に初めて海外に行った。
英語がうまく喋れないことがコンプレックスだったため、TOIECの授業で知ったフィリピン語学研修に興味を持った。大学が近年提携し始めたばかりというプログラムで経験者があまりいないものの、欧米に比べると格段に安く、ワンツーマンという授業形態と価格のやすさは非常に魅力的だった。
最初は経済的な理由と安全面の問題で両親にかなり反対された。それでも行きたくてたまらなかった私はアルバイトで留学資金をため、渡航の段取りも決めてから親を再度説得。そこまで覚悟してるならとあっさり親も許してくれた。これが人生最初の親への大きな反抗だった(はずだ)し、親へのわがままは基本通らないと思っていい子ちゃんしがちだった自分が初めて自分にとって「わがまま」を通すことができた経験だった。自分でも変えることができると思えた大きな経験だった。
 
その留学の経験が大きく自分の価値観を変えた。初めての未知の場所の中、国籍の異なる学生たちとうまくやれた経験とか、行ったことのない場所を目指して自分で仲間を集めて人に尋ねながら旅行に行った経験とか、どんどん喋れるようになる英語とか、普段大学では得られなかった達成感があった。自分が「できる」と感じる幅が広がって、「やればできる」「やりたいことは全部挑戦したい」と思うようになった。
親やお金、世間体などを気にして今まで限界値を決めてしまっていたのは自分だったのかもしれない。
今の自分の根本的な考え方は全てこの20歳までに経験したこの経験に基づいていると思う。
 

〜自分の経験したことが自分の価値観を決め、行動基準を決めていく〜

そのあとから急激に出会いやご縁が増え、どんどん自分のものの考え方が磨かれていった。
国内を旅したり、福岡や大阪のイベントに出ることが増え、
楽しそうに働いている社会人との出会い、
社会人並みにアクティブに行動する個性的な同世代、
人と何かを作り上げる経験、など数々の瞬間があって今の自分ができている、そんな気がする。
自分の人生を歩みたいという原動力はこのフィリピンでの体験からきているように思う。
きっかけは一つではなく、一つ一つに経験が紡がれ、点と点を繋げるように今の自分を作っていく。
 

〜自分の価値観を向上させていった経験の要素分解〜 

他にも自分が大きく変わった瞬間が人生の中で数回あった。
その要素にはいくつか共通点があったと思うので自分なりに考察してみる。
 
「小さな成功体験の積み重ねによる自己信頼の創出」
自分の得意な事でコツコツと小さな成功を積み重ねていく事で自分への信頼が蓄積していく
これによって新しいことに挑戦していけるようになる
自分の場合、陸上での厳しい練習やたくさんの新しい人と会ってもどの人とも仲良くなれた経験などがそうだ。
 
「自分らしい生き方をして生き生きしている社会人たちとの出会いで得た社会への希望」
夢アワードやユメトーークという若者が自分の将来を考えるイベントで出会った社会人たちのトークライブを聞いた時。仕事をこんなに楽しめる大人もいるのかと衝撃を受けた。自分の中で固まっていた価値観が広がりを見せた。
 
「個性を発揮し活躍している同世代との出会い」
社会人並みにバリバリ実績をあげていたり、面白いことに挑戦している熱い同世代との出会いで、負けてられない、自分にもできるのではという思いが芽生えた。また、自分らしさって何だろうと猛烈に考えるようになる。

「定期的に志のある学生と語り合う場所、励ましてくれる人たち」
社会人と学生を繋ぐ起業家が組織するキャリア支援団体や学生団体の集うコワーキングスペース、熱い思いを持った学生の集まるシェアハウスは自分にとって、山口で忘れていた志を思い出させてくれ、自分らしくいられるサードプレイスだった。そこで得た人生の目標であり応援しあえる仲間の存在や戻って来れる場所の精神的安定効果は大きい。
定期的にイベントやそうでない時も博多に行った時は必ず通い、はるばる山口から福岡に来たことから歓迎される空間に感動し、アクティブに活動している学生たちに毎回出会う中で本来の自信と生きるモチベーションを得ていった。

「自己価値が揺るがされ、再確認する場(自分の限界への挑戦の機会)」
一方でポジティブな変化だけでなく、長期インターンでは自分より優秀な学生インターンや優秀な若手社会人、仕事の多さに自信を無くし、自分って何ができるのだろうを強烈に考え落ち込んだこともあった。
社会の厳しさ、上には上がいること、自分ではどうにもできないものがあるのを感じ、無力感に押しつぶされそうになった気がする。
しかしその中で、「人生は競争ではない」し、自分の信念となる言葉や自分の幸せややりがいを大切にして、役割を持って人に貢献することが大切なのだという事を学び、克服していった。
 
 
このような気づきを与えてくれる人や場の影響で
自分の価値観や自分の行動の判断軸が少しずつ構築されていった。
だから出会いの質と数を上げていくために行動量を増やすことが本当に大切なのだと思う。

また、この振り返りで実際に根本的な価値観は20歳までの経験で決まっていたし、
自分がやりたかったことは「何かしたいけれど悩んでいる人や落ち込んでいる人を支え、自分の得意な分野でその人に合った方法や知識でサポートし、自己実現に貢献すること」「今力を発揮できていない人たちの才能を開花させること」だということが改めて分かった。
それはきっとトレーナーでなくても教師でなくても人を導き、気づきを与える仕事なら何でもできるし、大学に入るまでは選択肢を知らなかっただけだということも改めて分かった。

それに自分の得意な努力の仕方は「やり方が分かる事をコツコツとやりづつけ改善していく」のが得意なため、先生やコーチのような存在がいる中で、トレーニングを積んでいくような学びの方法が合っていると感じた。努力の仕方やコミュニケーションの得意不得意は人によって違う。
様々な人の言葉に影響され、できない自分を嘆いたこともあったが、自分に合った方法も今までの経験も人によって違う。そんなことに気づけたのは、本当にたくさんの人に合って、自分の頭で判断して選んで行くのを繰り返していってからだった。
(義務教育の中で何も疑問を抱かずに来た結果、社会で働くとなった時に今まで経験したことのないことで悩んだり、自分の力不足をこれだけ感じるのだから、日本の教育はモラトリアムから時は慣れた瞬間から若者を半殺しにするような社会担っていることがとても恐ろしくも感じるようになった。)
新卒で入る会社は信頼でき進むべき方向や考え方を教えてくれるメンターがいて、目標を立てて地道に改善していくもので成果を出す中で自分の頭で考える訓練ができる場所が良いかもしれない。
 

〜留学に行かなければそのような気づきは得られないのか〜

結論から言うと人生を変えるような気づきを得られる場は
別に留学に行かなくても死にそうにならなくても日本で経験できる。
自分がイベントや人の紹介で出会った人など気づきを与えていることはほとんどは"人"なのだ。
海外という場所でもなく、高い授業料を払う講義でもなく、あらゆる人の人生から学ぶことができる。
海外とういう非日常の中だからこそ自分の記憶に強烈に残っているということは関係しているかもしれないが、基本的には自分と異なるコミュニティに所属している人からその学びは得ることができる。
とにかくいろんな人に出会うことは本当に自分の人生において大切だった。 
 

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〜人生を変える気づきを丸々2日間で得られるイベントを開催〜

こんな悩み抜き、紆余曲折しまくった自分自身の体験に基づいて、
10/14〜10/15の2日間、山口に福岡や佐賀、島根などから学生を集めて合宿型のキャリアイベントを開催する。(2017年)
自分の経験から学生時代に福岡や東京に行って得た人生を変えた瞬間瞬間を山口で丸々体験できるようなイベントを考えた。
山口で数少ない学生と社会人との繋がり、県外学生との繋がり、地域との繋がりもできるしで山口の大学生のための企画となっている。
普通の就活で紙に書いていく自己分析よりも、多くの人に当出会う中で自分らしさを確認でき、いろんな人生の目標やヒントを得ることができるので、都会まで出て長期インターンなどをしなくても就活の最小限に必要なことは全部経験できる。自分が悩める大学生のために作った学生生活の集大成だ。
自分が悩んだことを何か後輩たちに還元したい。
 

▶︎山口学生合宿コンパス〜Second Season〜 

 

とりとめもなく書き綴ってみたが、この記事がもし同じように悩む人に何かのきっかけになれば嬉しい。