からふる。

大学を1年休学した山口の大学生が人生や教育、旅について書き綴るブログ。旅する人生で、美しい世界、田舎から東京、そして海外と飛び回って見てきた景色とは。

6ヶ月前は自分が大嫌いだったけど、今は自分のことが前より好きになった話

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田舎を飛び出して変えたかった東京での長期インターンのきっかけと何を考え、何を得たのか、その全貌を綴った

 

今の自分が本当に嫌いで、だからこそ今の自分を変えたかった

 

自分の学生生活は順風満帆だと思っていた。

 

大学入学当初、単位の取得が目的化された大学の授業に意味を見いだせず、バイト漬けの生活をしていた。英語を学びたくて教育学部の英語教育選修に入学したのに、英語も教育の授業はないし、周りの学生も意識は低いし、そんな日々に焦る毎日。そんな時、意識の高い友人に刺激されてフィリピン留学に行って、世界が広がった。
その後、行動力が爆発して後悔ないよう行動しようと一年発起。カンボジアのボランティア、イベント団体の立ち上げなど精力的に活動してきて、
大学3年生まで比較的意識の高い方だと思っていた。当時の自分にとって山口はとても"窮屈"だった。
ある時意識が高く自分よりも優秀な学生や社会人たちとの出会いが増えてきて、「なんて自由なんだろう、もっともっとそんな人たちに会いたい。」、そんな憧れで就職活動をすることにした。「学校という狭い世界よりももっと世の中を知るんだ。」、そういう思いでOB訪問や就活イベントに出て就活生とネットワーキングしたり、就活情報をライングループで流したりして高校と違って好きなことを自由にできて楽しかったし、自分はこんなに動いているのだから大丈夫だろうと思っていた。


軸のない自分、人の期待の中で生きてきた

あるベンチャー企業を東京から地方大学に呼ぼうと企画したとき、就活の中地方の学生のために頑張って企画して集客して「誰かのために自分の就活もあるのにすごいね」「いい活動してるね!頑張って!」そんな応援の声が嬉しくて自分の興味のあった企業の研究もそっちのけでイベントの企画・集客をしていました。目の前の人が喜んでくれることがただ嬉しくて。
ところが、東京の企業に興味のある学生はいても、地方銀行公務員派が圧倒的人気の地方ではなかなか「東京のベンチャー企業」という言葉が刺さらず人は集まらない。どうにか友人の後輩を連れてきてもらってなんとか10人集めたものの、企業さんも2社だけしか集められず、来た友人に一言ずばり。「自分の就活もあるのに人のためになんでそんなにできるのか分からん。」
その時は、自分の力の無さと人のためにしか頑張れないと言われたようでただ悔しくてただただ悲しかった。
誰かのためにイベントをやって今まで成功してきた自分の中でが自分への自信も壊れてしまった。


「〇〇って突っ走るよね。もっと周りを頼ればいいのにさ。」
ただ自分のやったことの否定に聴こえて、期待に応えられなかった、自己肯定感が低くなり、「できない自分」という想いだけが募っていった。

~ひとりよがりの「誰かのために」じゃだれも喜んでくれない、一人じゃ何もできない~
就活が解禁した大学4年4月の出来事だった。

 

お祈り連発の日々~自己肯定感完全喪失

そんな感じで自信も喪失し、何をやりたいのかも明確でなかったので受けてきた企業からのお祈りメール(不合格通知)が続く。
一番興味のあった人材の企業には最終面接で2社落ちた。自分に自信のない人間なんて企業は欲しくないですよね。
 …なんてダメな自分なんだろう。あんなに人の人生の転機や自己実現に関わりたいと思っていたのに自分の人生も変えられない...
自己否定が続いた。そんな中で就活もそこそこに教育実習を迎え、6月の最初に入った週、自分と同じように就活をしていた男子が内定の電話を隣でもらうのを目の当たりにした。友達の内定に素直に喜べず、正直焦りが絶頂でどうしていいのか分からなくなった。実習が終わりアパートに帰る度に知らず知らずのうちに涙がこみ上げていた。


励まされて、ご縁があってもらった内定

そんなとき就活の相談に乗ってくれたのは大手損保に務めて面倒見のいい叔母だった。
自分の会社の話やその周りの会社員の話をしてくれた。自分がもともと作った自分のネットワークから先輩に連絡を取って保険会社の知り合いのつてを当たってもらい、何人もの人からアドバイスをもらって徹底的に情報収集。
結果7月の選考で受けた会社5社のうち1社大手損保の地域職で内定を頂くことができた。しかも、その少し前に、知り合いに紹介された会社の人事の方に会って、なんとタイのベンチャーで働く話も頂いた!
結果はすぐには現れないのだと。本当に努力した人にしか結果は出ないのだと学んだ瞬間だった。

でもそのとき自分の内心は、念願の内定だというのに数週間ずっともやもやしたまま。
なぜ心が晴れないんだろうか、その答えが出ないまま...

 


そんななかで学生最後だと思って開いた団体での学生合宿コンパス。
コンセプトは「人生の指針を探す旅」。後輩たちに伝えたかったのは、自分にとっては何がやりたいのかヒントは自分の心の中にあって、夢がない人でも行動すれば変わるのだと、答えは自分の中にあるんだというメッセージだった。
...これを考えている間は夢中になれる...内定の話を忘れるように没頭して企画から準備までほぼ一人で考え、協力してくれるこに相談しながらやり取りが続く。
イベントが終わってからかなりの達成感があって、ひとつ自分でも答えがみつかったような気がしていた。
人のために何かをするのが好きでそれ以上でもそれ以下でもないこと。まだまだ新しいことを学びたくて挑戦したい自分がいること。田舎にずっと"つなぎとめられる"ことを心からは臨んでいない。人との繋がりが誰よりも好きなそんな自分。
内定先が自分の本心に沿っていないようでもやもやして、自分でも分からなくて。それをずっと解消できなかった。
「何もしなければ今は変わらない」学生最後の夏休み、いてもたってもいられなくなった。


受け入れられず飛び出す~タイ放浪一人旅

そんなとき、前からしたかったバックパックに行くことをふと思いつく。
人生を探す旅に世界に出て行く友人を何人も見ていたし、
タイの企業も行ったこともないのに飛び込んで自分の社会人の最初数年を過ごして搾取されるのはもったいない。
以前から思い立ったら即行動派なので、2週間の往復の格安航空券を予約し、必要な道具をそろえ、不安をできるだけなくすために最初の1週間は日本人案内者と行くタイのダイビングプランに予約し、3万円のお小遣いだけ持ってバックパックひとつでタイに出発した!
親にもほぼ前日に報告したこっぴどく怒られましたが...


そんなタイの2週間は最初は日本人旅行者の急なキャンセルで参加者の女子はひとり、付き添い人と男の子3人とタイでの旅が始まった。
雑多で清潔感のないタイの雰囲気に慣れずに観光地をツアーメンバーと行きながらタイでの生活の術を少しずつ覚えていったのはなんだか新しい挑戦でワクワクしてはいた。
大学時代に派遣であらゆる旅館に派遣され、飛び込んだ先での対応力・適応力は自分の強みが発揮されていたと思う。

島でのダイビング生活はローカルな自然に囲まれのんびりしていて、出会った日本旅行者との道中は個性的で人生を楽しんでいる人が多くてとんでもなく楽しかった。
自分の自然や異文化への強い好奇心が刺激され、終始楽しい。
色鮮やかな魚の泳ぐ海でのダイブは体が喜んでいるのを感じた。
欧米人も集まる観光地で過ごす4日間のスローライフは自分の心を癒してくれた。

しかし、戻ってから始まった一人旅はひたすら孤独だった。
連絡が取れるのはWi-Fiがある限られた建物の中のみ、地図も観光マップはあいまい過ぎてタイの人にも英語が通じない。バスの遅延は当たり前、宿は汚くて外国人ドミトリーが男子と同じ部屋のことも。乗ったタクシーのドライバーはホテルに連れて行きたがるし。。。正直しんどくて、時間を無駄にしているようにしか思えなかった。
病んでるときの自分ってこんなにも決断力もなくて、精神力もないのだと悟った。
その時はただひたすら不安だった。不安がこんなに人の判断力を鈍らせるのだと知った瞬間だった。
どうにか日本人宿にたどり着いて今まで仲良くなった旅友達と再会。
信頼関係のある人と話すことが自分を慰めてくれていた。
自分自身が一人では本当に何もできなくて無力で、でも自分が動いて築いてきた人との信頼関係と自分の勘だけが自分を助けてくれたように感じた。
そこで決心。海外には憧れるけれど「心に不安が立ち込めている状態でタイでは一人で暮らせない」自分の幸せは人との繋がりや自然の中で命を感じること、これがこの旅での結論でした。

 




「やりたければやればいい」という小さな夢への挑戦


日本に戻ってくると、そのころ相談に乗ってくれていた別の学部の教授から度々学生ベンチャーをしないかと起業の話を持ち掛けられた。
このまま就職せずこれを成功させるという選択肢もなくはない。正直願ってもない話でワクワクした。
でも、話を聞くたびに教授のやりたいものはだいたい決まっていて...?


内定をもらっている人たちが遊びだしている様子が分かるTwitterや自分の作った就活ライングループからどんどん退会していく人たちを見ていると、何も行動していない自分の結果が見え嫌で嫌で仕方なかった。でも、何も動けなくて受け身のまま。今の自分を受け入れられないまま時間だけが過ぎていった。

そんなときふとFacebookで寮を出してくれるITベンチャーの長期インターンの求人が目に留まった。
...東京で就活もできて、力も付けれて内定ももらえるかもしれない...?!...
思い立ったら吉で、東京行きの夜行バスを予約するとタイから帰国直後にタイに行ったカバン一つで乗り込み、座談会に参加。
担当に当たった担当のインターン生に想いをぶつけPRしました。覚悟が決まっている分、自分の言葉にも力があり、かなり手ごたえがありました。
数日後、山口に戻っていた自分のスマホに合格のメール。交渉し、フルコミットが求められたのでお母さんにだけ相談して、手続きも学部への面接も書類も自分で完結させ、ほぼ独断で休学を決め夜行バスで15時間かけて上京することになった。これがすべての始まりだった。


このときはただただ自分を変えたかった

なぜ休学してインターンだったのか?
それはとにかく負荷のかかる過酷なチャレンジの方が成長できると思ったから。
自分は他の選択肢を残したら確実に妥協するだろうと思っていたし、過去の経験から自分を追い込んで後戻りできない状態にしておいた方がなんとかするために頑張るだろうと思った。逆境にさらされると人間は成長し、強くなる。必要性を感じ、自分事にするから頑張ることができる。だから休学してそういったきつい環境に飛び込もうと考えたのだった。

さらに、そのインターンの環境は好奇心旺盛な自分が憧れる分野ほとんどに関わっていた。IT、地方創生、インバウンド、事業創造、Webマーケティングベンチャーでもかなりの裁量権があることで有名なそこのインターンならやってみたいことすべてに関われるだろうと。
地方(山口・九州)で支部立ち上げをやりたい、そんなことを入社当時は言いながら圧倒的な成長を求めて飛び込んだ。


"変人"だらけの憧れの東京・忙殺される日々

初日は寮に行くとちょっと変わった眼鏡の女子大生が迎えてくれました。
留学して1年休学していて、今そのITベンチャーインターンをしている先輩にあたる人だとか。そこから寮に向かうと一人の女の子がいて、話してみると面白い。
早稲田大学を中退してベンチャー企業で人事をやった経験があり、今新規事業にフルコミットしている」のだとか...。ぶっ飛んでる。
これから待ちに待ったインターン生活が始まるのだとその時までは心がときめいていた。

ところが入社して最初に自分に課せられたのは3日間のマニュアルという冊子のみ。
椅子に座るとそのマニュアルをこなし、資料の読み込みやテストや設定だけで終わる3日。それからカスタマーサポートで電話対応をやることに。マニュアルの無い中試行錯誤し、ひたすら電話越しに謝る日々。内容もただこちらのサービスやインターン生のミスと思われるような内容ばかり。誰にでもできるし、何か価値を生み出している感覚がなく不満だけがつのっていく日々。
「なんのために自分はここに来たのだろうか...」何も成果という成果が出ないまま2週間が過ぎた。そんなとき、事業部長が自分がカスタマーサポートしかやっていないことに気づいて「もうやらなくていいよ、他の仕事探して!」と言われ、企画部に入ることに。(その時は分からなかったけれどベンチャーでは人を教えている時間が本当になくて自分は誰かに相談もしなかったので誰も気づかずに仕事に追われていたようだった)
そこから自分が関わる仕事が増え、やっと自分の存在価値を感じられるようになってきた。



でも、ここ本当に入れ替わりが激しかった。次々に入れ替わりに入ってはやめていくインターン生たち。
仕事の引き継ぎもめちゃくちゃ。一人で抱える量のタスクではない...。
どんどん自分に降ってきて増えていくタスク。完璧にしようとすると仕事が終わらない。家に帰るのが21時というのが日常だった
優先順位を付け、諦める・捨てるということを覚えられたのは3ヶ月目だった。この時まではただただ自分の居場所が欲しくて、ただがむしゃらに目の前のことをこなしていた。


それでも辞めなかった

こんなに過酷な環境だったのでインターンを辞めることを考えたときは何度もある。
上長(自分の上司に当たるポジション)がいなくなったことが2回。部署が変わったことが4回。辞める人に変わって殺人的に増えるタスク...
(「なんなんだ人を人と思ってない組織は...‼」と憤りを覚え、何度か辞めることを考えたのもしばしば。)
それでも自分は、自分を変えるためにここに来たのだから結果を出すまでは辞められないという思いがあった。ここまで来たら意地だった(笑)他の選択肢があればやめていたかもしれない。知り合いに話すたびに"やりがい搾取"とまで言われていたものだ。

ただ、自分が今までやってきたことの中でこのきつさをしのいだと思うことは2つあって、一つは陸上部時代のリハビリからの復帰経験。400mハードルを専門にして県大会の常連でしたが引退直前の冬に腰をぶっ壊したもの陸上以外に自分の自己実現の方法なんて知らなかったので、徹底したリハビリメニューに取り組み、復帰してから自己ベストしか出さなかった体験。ドラマみたいな復活劇でした。
もうひとつは休学を強行したこと。自分は元来人目を気にするタイプで失敗が怖くて、人にいい顔しかしなかったが、自分の本心に忠実に選んだ決断で親の言うことも聞かずに覚悟を決めてきたことが自分にとっては自分を後押ししていた。自分が本当にやろうと思えばできないことはない。その思いが自分を繋ぎ止めていた。

過去に試練を乗り越えた経験があれば、その自信が自分を後押しするのだと学んだのもこの時。

このインターンの間は長らく、成功体験を業務の中でなかなか積めなかったと振り返って思う。でも、自分にとって好きな「人のために何かをして喜んでもらえたとき」、周りが苦手な事業の「整理整頓をするとき」、「うまい文章を書くことができたとき」など自分の好きなことで困っている人のサポートをできたといったちょっとしたやりがいが積み重なることでなんとか自分を慰めていた。でも、このときはまだ何も成し遂げられていなかったので、精神的にはかなりきつかったこともよく覚えている。

そのころ、地道に配信し、検証し続けて2カ月、少しずつ成果の兆しが見えていたメルマガ。事業でもリピーターからの購入数がどうしても増えないというのが最近の最大の課題と常々言われていました。
「これを成功させたら周りにも認められるのでは?」という思いつきがありました。それを自分のゴールにしました。やれば必ず役に立つことが分かっている。これを自分の成果にしようと決めました。


継続は力なり~初めて自分が役に立ったと思えた瞬間~

自分が最後に配属されたのはマーケティングの部署だった。知識ゼロから取り組んだメルマガの改善。ABテストや仮説に基づいて複数配信を本格的に試行し地道に続けて、営業に成功している体験をフィードバックし続けて2ヶ月目、メルマガが爆発的にヒットした。普段の月の2.5倍の購入数が自分が担当してから一気に入ったのだ。しかも単価が高いものが売れたこともあり、売り上げが一気に増えた。
これまでにない達成感と自信が自分に芽生えてい来た。「ああ、成果を出すってこんなに嬉しいんだ。この達成感が欲しかったのか。」
誰かに承認されてしか得られない達成感でなくて、自分の努力によって着実に生み出した成果。陸上のときと同じように自分自信で自分を満足させられるこの快感。
自分自身が急速に満たされていく感覚があった。

そしてもうひとつの気づきは、努力を継続しない限り兆しも見つけられないし、事業が求めている成果も分からないし、大きな成果を出すことができないということ。
ひたすらどうすれば目の前のことが良くなるか、もがいて諦めずに「努力し続けること」がいかに大事なのかを実感しました。

自分にとって足りなかったのは成果を出すためのPDCAの思考です。いつも途中で頓挫することが多かったから、逃げていたからなにも身に付かなかったのだと思い知らされました。
続けられることは才能だと。半年は続けないと本当に自分にあっているかも分からないのだと。
そして、毎日の日報でKPTを書きだすことでできない自分ではなくて、自分の成長を自覚できるようになっていった。
これはKeep(良かったこと)・Ploblem(悪かったこと)・Try(次にやること)という課題を認識するためのフレームワークです。これがPDCAを回すためにやった中で最も続けやすく、効果的な方法だった。
成功する人は兆しを逃さないのとPDCAを高速で回し止まらないし、徹底的に効果的な打ち手だけを厳選する、これが揃わないと圧倒的な成果などは出すことができないのだと。
半年間何かを徹底的に続けないと何も得られないという自分の仮説が当たった瞬間だった。


自分を支えてくれた言葉

自分を支えてくれたのは、自分の強い意志があったからというよりは様々な人たちの声掛けでつなぎ留められていたようなものだった。
自分が辞めるか悩んでいたときに声をかけてくれたのはシェアハウスに一緒に住んでいた社員さんだった。
自分が何もできないと悩んでいるときかけてくれた言葉が「なんか〇〇ちゃんってこんな自分じゃだめだ、過去の自分いやだって思ってる感じがする。そんな道を選択してきたのも自分なんだよ。失敗した自分も自分は自分じゃん。もっと自分を許してあげな
そのとき、ふっと救われた思いがした。失敗してもいいんだ、それからどうしていくか考えることが大事なのだと。

きっと一人ではこんなつらいことやめていただろう。

「自分が役に立たないって思っているみたいだけど、〇〇ちゃんだからこそ周りに与えている影響があるし、役に立たなければいけないなんてことはなくて、〇〇ちゃんはかけがえのない存在なんだよ。」
「居場所はとか信頼って欲しいと思ってできるものではなくて、目の前のことをこなしていって成果が出て初めてああこの人できるんだ、次これを任せたいっていって仕事ができていくものだよ。」
「分からないってただの思考停止じゃない?正解とかビジネスの世界にはないし、そこからどうしていくか考えなきゃ。」
「今分からないものはこのあともずっと分からないんだからとりあえず行動してみな。」
社員さんから背中を押された言葉はこのほか数えきれないけれど、確かに自分のインターン生活において心の支えになっていたことは間違いない。

大事なものは自分の中にあった

「バケモノのこ」という映画を見たことがあるだろうか?
(自分はこの監督が作る映画のアニメーションが好きなんですが、)
この話の中で登場人物の熊徹が「心の中に剣があるだろ」という話をする場面がある。これに通じることが実世界でもあると思う。

自分自身が好きな人や自分は家族から愛されていると心の中で信じれている人はどんな環境にいても強い。なぜなら、自分自身を守る強力な心の支えやよりどころが自分自身の中に内在化できているから。自分を無償で愛してくれている両親や周りの人がいたら、自分自身を絶対的に愛されている存在と捉えることができる。


この時、その感覚がやっと分かった気がする。自分を信じるというけれど、「自分を許す」、「自分を愛する」ことができると自分の人生を歩むことができる、これは自分の人生じゃないと思うのではなくて、自分自身で自分を受け入れてその上でこれからどうしていくか真剣に考えることができるということだと思う。
自分は人に愛されている、一人でも自分自分は価値のある存在であると心の中で信じることができたとき、孤独感を感じることはないし、自分の心の中に支えとなる「剣」が存在していることを意識できるようになるのではないだろうか。
誰か一人でも自分を認めてくれた人がいたら、その人は自分を認めることができるのではないだろうか。

だから今は怖くない。ありのままで。

今は心に自分の”剣”があるように感じる。今は過去の自分があったから今の自分があると心から思う。
インターンを通して考えたことは自分にとっても、人生の教訓となることが多くて今でも心の支えになっている。
このことを忘れないためにもここに書き記しておこうと思う。
今ではあんなに嫌いだった自分もそんな自分も自分だと思えるようになり、全く価値のない存在などではなかったと思えるようになってきた。だからもう寂しくないし、自分自身のことが好きになった。
だから人に何かを求めたり、期待するようなこともなくなってきたし、人が言っていることが素直に理解できるようになった感覚がある。
自信なんて最初からないものだ。自分のことを否定せず受け止めることができるようになって、初めて本当の自信は付くのだ。


ただ自分に足りなかったものを埋めただけの半年間だったけれど、後悔はない。
これからの人生の歩み方をこの経験を活かして精度を上げていくだけ。
これからも自分を受け入れ、自分の人生だと自覚しながら全力で日々を生きていこうと思う。

 

 人生の時間は限られている。こんな経験をした自分だからこそ、人と人との繋がりで世の中を良くしていきたい、個性を尊重できる人間でありたいと心から願う。