からふる。

休学・東京留学した地方女子大生の本音

他人を気にせず生きるには

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人を気にせずに生きたいと悩む人って多い。
私も他人からの評価を気にして生きているタイプの人間だった。

なんでなんだろうと考えてみると、
自分の母は教師で、常識人で、人に正しいとされる姿を求められる立場ゆえ、人一倍一目を気にするよう自分を教育してきていた。

さらに人との調和を好み、規律を守る事で他人との争いを最小限にし、

常識を重んじる事で、互いのバランスを取ろうとしていた。


父親はプライドが高く人一倍世間体を気にするタイプだったので、
進学校に行けとか、公務員になるのが幸せなんだとか、大企業に行くべきだ、とずっと言われて育ってきた、まさに、典型的な日本的家庭だった。

そんな二人を見てきたからこそさらに自分も両親に認められるように、
世間一般的に求められる正しい子供であろうとしたし、人目を気にして自分のしたいことをあまり出してこなかった気がする。



でも、ある時気づいた。


人はそんなに人のことを気にしていないし、
人の人生を監視するより自分の人生に生きるのに必死でほとんど自分のことなんて見ていないということ。


それに、親の時代はそのように世間のルールの中ではみ出さず、常識人であることが
世間一般で良かった時代かもしれないけれど、
今は個性が求められる時代でそんなに常識人であることよりも
自分らしくある人の方が好まれるような時代になってきた。

貧困もなくなった今、お金だけがモチベーションでは幸せではなく、自己実現ができなければ幸せではない。

もはや、自分がこうあるべきと思っている人は
いろんなことを我慢しないといけなくなってつらいだけなのではないか。

他人と違うことをすることは、恥ずかしいことかもしれないけれど、
それは一つ思い込みもあって、
自分自身が正しい人間だと思っているのかもしれない。
誰だって間違うこともあるし、失敗することもあるけれど、
自分がちゃんとした人だと思っている人は間違うことや批判されることを恐れて、
なかなか自分のやってみたいことができなかったり、わがままだと思ってできなかったりする。
でも、もっと自分にわがままでいいのでは??
一目を気にしなければやってみたいことなんて本当はいっぱいあるのでは?

ほら、自分はちゃんとした人間なんかじゃないって思えてしまうと、
わがままも少し気が楽にならないだろうか。

ただそれを言うのに必要なのは、ちょっとした勇気と開き直りだと思う。
子供っぽくていいじゃないか。
勇気をもっていった人を否定するような人はいない。
それを言ってみて許してくれる人は心無いだけ。
そんな人なんて気にしなかったらいいのだから。


タイに2週間バックパックに行ったことがあった。


そこには日本から来ている旅人もたくさんいた。
そんな人たちに話してみて感じたのは、
「人生は一度しかないし、人目を気にして生きた人生はつまんない」ということ。
「もっと自分の人生にわがままでいいよ」そんなことを言う人ばかりで最初は驚いた。
でもあとあとその言葉の意味を考えてみたけれど、
うんうん、言われてみればそうかもしれない。

今自分がちゃんとした人だと思っている人は
常識を常に考え、我慢できる大人になり、
空気を読めることに自信と安心を見出す。
それが、「大人」と思っているからもがいているのでは?
そんなに自分を縛る必要はなにもない。


ちょっと勇気を持ってわがままになってみよう。
人目を気にせず生きてみたいなら、
もっと自分に素直になって、
自分のしたいことを勇気を出してみよう。
人に否定されてもいいのだ。
みんなに好かれる人なんていないのだから。

人目を気にせず、自分に素直に生きるといことは
自分の人生を自由に生きることになる。
自分の決断に責任を持つことになりますから、後悔することが少なくなる。
自分の好きなことを追求してイノベーションを起こしたり、社会を変えてきた人たちのき方に心から共感できるようになる。

人目を気にせず生きたいのならまずは、人目を気にせず頑張っている人たちを馬鹿にすることをやめよう。

自分自身にも素直になってみよう。

とにかく少し勇気をもってみよう。

少しずつ自分の意識が変わって人生が楽しくなっていくかもしれない。