からふる。

休学・東京留学した地方女子大生の本音

ありのままの自分でいるにはどうすればいいのか考えてみた

 

「社会に出てありのままの自分でいるには」ということについて最近考えていたことを書き綴ってみようと思う。

 

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自分を信じられない人が増えている

東京という日本一人がいる都市に出てきて、日頃の忙しさや人との距離間から本音という本音を話す機会が減ったなーと感じている。

 

都会独特の人間関係のドライさ、
飽きるほどの情報量の多さ、
行き交う人の多さや出会う人の意識の高さなど

ずっと緊張したままの状態で、見栄を張って自分を強くブランディングしたり、
自信のない人ほどなかなか素を出せないのではないだろうか。


そもそもありのままの自分でいることって
家族や親しい友人以外の前ではなかなか勇気がいる。

素を出していると、「出る杭打たれる」の文化の洗礼を受け、
わがままだとか、我慢が足りないとか、なめているとか
本音を出すことが自己中だ、空気読めないと言われることもある。

(この足を引っ張り合う文化はほんとに嫌い)

でも、嫌われたくないからと全く自己主張しなくても人の言いなりになっても
自分を抑え込むばかりで、自分がなくなっていくし、面白くならない。


私もかなりの気遣い屋であるが、自信がないとき特に人に気を遣ってなかなか本音が言えずにいる。
自己主張できない理由をたどってみると、人に嫌われたくない、傷つきたくないという思いが原因だったりする。
人からどう見られているのかに焦点が当たっている状態だ。

つまりは周りのことを気を遣っているというより、周りの人を気にして、大事な自分自身が傷つかないように、自分にばかり目が向いているという事でもある。

 


SNSが普及して人と人が繋がりやすくなった社会では、
逆に孤独感を感じる人が多いんだとか。
多くの人のタイムラインがリア充報告で埋め尽くされていたり、みんな人生の幸せ自慢をしているよう。Twitterもそうだし、instagramはそんなキラキラした世界の典型だと思う。
「いいね」をもらうのを意識したツイートをしようと負けじと取り繕う。
「いいね」されると簡単に自分が認められたような快感を得られるので
SNS地獄に陥る人のなんと多いこと。

だから人のSNS投稿を見ても、自己承認欲求の塊のように感じるし、
常に人に見られている感じがして意識した投稿しかできないことも。
SNSの投稿もいいねを集めるためにかしこまった書き方をしてしまう。
だからより一層自分が自分じゃないような気がしてなんだか嫌になってしまうという悪循環だ。

 

気遣える人と人目を気にする人の違い

根が優しくて孤独が怖い人ほど嫌われることを避けて
自分の思っていることを言えていないんじゃないだろうか。
(けれど万人に好かれるのって無理だし、嫌われたくないってそもそも自分は嫌われていないというおごりが入ってるもの。流行っていた「嫌われる勇気」という本にそのことは詳しく書いてあるから悩んでいる人は読んで見てもいいかもしれない。)

そんな自信のない人に共通しているのが「自己肯定感」ではないだろうか。

日本の教育では自己肯定感が育ちにくいと言われている。
自己肯定感の低い人は人並み以上の基準を満たさなければ、
人からの好意はもらえないように感じたり、できない自分自身を許せなかったりして、
自分から積極的に人に関わることができない。不安が増えて臆病になったりする。

 

また、自分をかわいがってほしいという利己的欲求を満たすために
人との出会いを求めてしまい、

その後の出会いがうまくいかなくなってしまうんだそう。

他人で自分を埋めようとするのでなかなか良い関係を築けなかったり、恋愛がうまくいかないことも。


幼少期に母親からの愛情を充分に受けていなかった人は
自分の中に同一性を内在化できずに、自分の存在には価値がないと感じがちになるそうだ。
でも、実際はそれは思い込み、悪く言えば被害妄想である。
自分が自分を悪く認識してしまっている、解釈の問題でもある。

 

かつてインターンを始めたばかりのときの自分も、
新しい環境でうまくいかないと自信の無さからなかなか自分の意見を言えなかったり、
人に譲ってしまいがちだったり、いつもにこにこして取り繕ってばかりいた。
能力の低い自分の意見なんか通すことはできないとか、嫌われて孤独になってしまうのではないかとか考えて、言いたいことを飲み込んでしまっていた。


そんなときに自分に気づかせてくれたのが
その時お世話になって同じシェアハウスに住んでいた社員さんだった。

インターン先で思うような結果が出ずに寮に帰ってからごちゃごちゃ悩み、
「自分のことが嫌い」だと言っていた自分に
「もっと自分を許してあげなよ」って言葉をくれた。
なんだかほっと気持ちが緩んで、このままでいいんだとなんだか救われた気がした。役に立たないと自分自身に価値がないように感じていたけれど、実際は周りの人は自分のことをちゃんと見てくれていたし、私の存在はいるだけでも意味があるんだと。

頑張っている人はもっと自分自身を認めてあげてもいいのかも。もっと自分を許して、受け入れてあげて。

頑張り屋な日本人には、逃げたり辞めたりできずに鬱になっちゃう人も多いので、もっと自己肯定感を育てるような教育があったらいいなと思う。

自己肯定感を高めるには

そんな自己肯定感が低い人が自己肯定感を高めるには、

「自分自身の認知のゆがみを修正すること」が一番なんだそう。私がその社員さんに言われた一言で自分自身の認識が変わったみたいなことだ。

勘違いである認知の歪みが修正されると、自分や相手のプラスを見つけることができる。
そして相手にも良いイメージを持つことができるので、良いイメージを相手に送れる。良いイメージは相手に伝わるので、相手から良いイメージが返ってきやすくなり、それが良い暗示になる。結果として自己肯定感が更に高まるんだそう。


そして、あとは主体性を持って行動を起こすことが大切。
自信なんか出ないという人には、毎日小さな目標を決めてそれをこなすようにしていくと、
自分との約束である目標をこなしていくことで、自分への信頼感が蓄積していき、
少しずつ自信を取り戻していく。簡単なのは体力をつけることや身だしなみを整えること。

手っ取り早く成果を実感できる。
最近自分に自信がないなーという人は毎日何かひとつ目標を決めて達成するために行動するといい。


あと、もう一つ自己肯定感を高めるためにとても重要なことがある。
それは「根拠のない否定をされたら、必ず1回正しい自己肯定を行う事」だ。
身近な人から自分の人格や存在を否定されることがあっても、それを全て受け入れ自己評価を下げていくことは心の健康によくない。
自分に自信がなくても、誰一人として自分自身に価値がないことなんてないので、
それはおかしいと言って全然いい。

価値観は人によって違って当たり前。自分の価値観にあてはめ、相手を変えようとするから苦しくなり、バトルになったりする。
自分を幸せにできるのは究極的には自分だけなので、
自分自身だけは自分で守って抱きしめて認めてあげて欲しい。
ありのままの自分を認めていければどんなところでも自分らしく力を発揮できる。本当に強い人はどんな時も自分を信じられる人だ。

 

ありのままを大切したくなる言葉

 

「特別なことをするときには、ありのままの自分でいられることが大切です」

これは自分の所属していたバスケットボール部時代のスタート前に
チーム全員で円陣組んで掛け声をかけていたときの好きなフレーズの一つ。
自分の力を発揮するには、素の自分でリラックスしていられることが大事。
ここにきて当時言われていたその言葉の意味が本当に分かった気がした。

 

「自分の大切にしたいものを大切にする」

テクノロジーの発達でSNSなどで色々な人の幸せが瞬時に可視化されるようになって、現代人はまだそれに対応できていない。人の人生と比べて、羨ましがったり、無い物ねだりをしたりしてしまう。
だけど人生は競争ではない。人によって幸せは違うし、自分の大切にしたいものは誰しも同じでないし、優先順位も違う。それが価値観や人の幸せが違うということなのではないだろうか。

私自身はそれに気づいてから、人は人、自分は自分と割り切り、人に期待することも、今ある以上に求めなくなってきてからSNSの人の人生に一喜一憂することが減った。

 

「あなたは、あなたで大丈夫。」

自分の好きな曲でロックバンドおかんの曲にこんな一節がある。

 

誰かと比べたり比べられたり
僕にはできないことが多すぎて...

自分を否定することが一番辛かった。

無理に背伸びをして、救い笑いをして
いつか本当の自分さえ忘れてしまってた。

抱きしめてあげよう。ありのままの、あなたを。

抱きしめてもらって、不安な気持ちを。
自分を信じていくことはとてもとても勇気がいるけれど。
必要としてくれる人がいた時、生まれてきた意味を知った。
あなたはあなたで大丈夫。(おかん/あなたは、あなたで大丈夫)

 

とてもシンプルなメッセージだけど、すごく心が救われた。

自分を信じられなくなった人にはぜひ聞いてほしい一曲だ。

youtu.be


自分は自分。自分の幸せは何なのか。自分の大切にしたいことを大切にする。
これがきっとありのままでいられるコツなのかもしれない。
当たり前のようで、忘れかけていたことを思い出せた気がする。

 


誰もがかけがえのない存在であり、自分らしくいられることってやっぱり大事なことなんだなって気づいた今日この頃だった。